患者さんの声
このコーナーでは、患者さんが疾患や日常生活の中で感じる悩み・課題にどのように向き合われてきたのか、また同じ疾患の患者さんへのメッセージなどについてご紹介しています。
第4回
病気になっても前向きに、好きなことをやり続けたい
プロフィール
ななさん(仮名)
62歳、女性
49歳の時にびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)を発症。
現在、経過観察中。
リンパ腫の患者団体の地方支部代表を務めるかたわら、花を扱うカルチャースクールやオンラインでのレッスンなどを展開。
SNSを通して、ご自身の経験談などを積極的に発信している。
(取材当時)
びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)診断までの経緯
2014年、49歳の時にびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)と診断されました。当時は管理職として働き、仕事にやりがいを感じていました。二人の娘も社会人と大学生になり、子育ても一段落して、プライベートも充実した毎日を送っており、体調不良の前触れのようなものはまったくありませんでした。
受診のきっかけは、定期的に通っていたエステで「首の周りに何かありませんか?」と言われたことでした。自分で触れてもわかりませんでしたが、夫から「病院に行った方がいい」と強く勧められ、翌日、かかりつけの耳鼻咽喉科で紹介状をもらい、その足で総合病院を受診しました。
最初は「たいしたことはないだろう」と思っていましたが、何回も検査を受けるうちに「良くないのかもしれない」と感じるようになりました。リンパ節生検を受けた際、医師からリンパ腫の可能性があると告げられました。
街の景色が違って見えた告知の日
夫と看護師の友人が同席する中で、DLBCLの確定診断を受けました。「(リンパ腫の)疑いがある」と事前に聞いていたので「やっぱりか」という感覚でした。病名を聞いて最初に口をついたのは「どれくらい生きられますか」という言葉でした。仕事や娘たちのこと、自分の人生をどう整理するかを考えたからです。医師からは「治療法のある病気です」と説明されました。
これから治療が始まるとわかった時、まず思い浮かんだのは「仕事を休みたくない」でした。泣いたり取り乱したりすることはなく、冷静に受け止めていましたが、帰り道の景色はまるで違って見え、風や街の匂いまでもが暗く感じられました。
家族や職場、友人への伝え方とタイミング
現在、長女と次女は医療従事者として働いています。診断当時、長女は就職したばかり、次女は大学生でした。「これから出会うかもしれない血液がん患者さんについて学ぶ、良い機会になるよ」と伝えました。2人は驚きながらも理解が早く、特に長女とは「これからどうするか」という現実的な話ができました。
夫には告知の際にも同席してもらいましたが、夫婦ともに深刻になって取り乱すようなことはなく、「今は休んでも、また働けるようになる」「私は治療に専念するから、あなたは家族のために頑張って働いてほしい」と、落ち着いて話し合いました。
職場には確定診断が出てから伝えました。病気になったことが噂で伝わるのが嫌だったので、同僚や部下に集まってもらい、「こういう事情で休むけれど、必ず戻ってきます」と簡潔に伝えました。「かわいそう」と思われたり、あれこれ聞かれるのが嫌だったので、親しい同僚にはランチの際に「がんになったので、治療に行ってくる」と、あえてさっぱりと伝えました。
一方で、友人との距離感は難しく、励まされることがかえってつらく感じられて、しばらく距離を置いたこともありました。
再発も前向きに捉え、気分転換しながら治療を続ける
休職して治療を受け、1年半後にようやく仕事に復帰しましたが、管理職を外れたことで仕事にやりがいを感じられなくなり、気持ちは沈みがちでした。そのような時に再発が見つかりました。「もう会社を辞めてもいいかな」と夫に相談しましたが、その一方で、仕事を続けることに意味があるとも思っていたので、葛藤がありました。ただ、主治医から再発しても治療法はいくつもあると聞いていたので、「会社を辞めるよいきっかけになった」と前向きに捉える部分もありました。
初発から3年後の2016年に1回目の再発、そして2021年に2回目の再発がありました。雇用保険の職業訓練でパソコン技能などを学び、新しい職場でのパート勤務を始めていたので、「またか」と思いました。しかし、コロナ禍で世の中全体が大変な時でしたから、そうした中でも治療が受けられることに感謝の気持ちがありました。
初発や1回目の再発の時には、薬物療法中も比較的元気に過ごすことができました。夫がドライブに連れて行ってくれたり、休薬期間には旅行をしたりと、自分なりに気分転換をしながら過ごしていました。
経済的な支えと心の支え
わが家では夫が生活費を、私は娘の学費を負担していたため、病気になったことで経済的な不安もありましたが、実家の父がすぐに支援してくれました。お金のことよりも、助けてくれる親がいるということが心の支えになりました。
制度面では、高額療養費制度や社会保険の傷病手当金、会社の保険制度に大いに助けられました。ただ、就業不能保険に入っていなかったことには少し後悔があります。
また、患者さんとの交流も心の支えになりました。DLBCLについて調べる中で、ほかの患者さんのブログや体験談を読み、「想像していたより元気に過ごしているんだな」と心強く感じたのを覚えています。病院の交流会や相談支援センターなども利用しましたが、DLBCLに特化した情報は少なかったため、さらに調べてリンパ腫の患者団体を見つけました。電話で相談した際に「治療法があるので心配いりません」とはっきりと答えていただけたため、すぐに入会を決めました。その後も再発時の治療選択について相談にのっていただくなど、大きな支えになりました。今では私自身も患者団体の一員となって、地方支部の代表を務めています。
また、がんサバイバーの方が毎週開催されているオンライン交流会にも参加しました。そこでは情報交換だけでなく、雑談を通して人とつながれることが、その後の患者団体・患者サロンでの活動の参考になりました。
病気になって見つけた花の仕事と、前を向いて生きる力
2021年から、新たに花の仕事を始めました。実家が花屋だったことや、フラワー装飾技能士の資格を持っていたこともあり、2回目の再発後に仕事を辞めて「これから何ができるか」を考えた時に思い浮かんだのが花の仕事でした。レッスンの開催やイベントへの出展から始め、SNSでの発信を通してカルチャースクールへと広げていきました。
植物の力や花を通じて人とつながることが、自分自身や参加者にとって、もう一度前を向いて歩きだす力になると感じ、大きなやりがいになっています。さらに、療養中の方や外出が難しい方などに向けて、オンラインでの花遊びのレッスンやおしゃべりの会も始めました。企業と協力しながら、利益を目的とせずに続けています。
病気を経験して、価値観は大きく変わりました。この経験をマイナスで終わらせたくない、特に娘たちには、病気になっても好きなことをやり続ける母の姿を見せたいという思いが強くなっています。
常に再発の不安はありますが、リンパ腫の治療は日進月歩で進んでいると信じ、希望をもって諦めずに好きなことを続けていきたいと思っています。
そして、療養の経験や日々の様子をSNSや電子書籍などで発信し、「こうしたこともできる」と伝えていきたいと考えています。私の経験が、少しでも誰かの役に立てばうれしいです。
2026年6月掲載
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